わたしの夢(統子編)

おやおや、ここまでお目通していただけるなんて・・・感謝感激の極みです。
関心を持っていただいて、ありがとうございます・

 

決して短い文面ではございませんが、もうしばらく、おつきあいくださいませ。

 

わたしにはずっと昔から、まるでそれが現実に起こっている出来事のように
浮かび続けている風景がある。

わたしは幼少の頃から人の輪に入るよりも、自分だけ気ままに過ごすことのほうが好きで、

風通しの良さを求めて率先して個人行動をしたがる、そんな大人たちからすれば扱いに困る子どもでした。

 

 

自分が人前に出て何かをやるというより、必要な人材や情報とつなげたり、

そのひとが欲しい結果に最短で着地するためのアクションプランや、アイデア出しなどユニークなアプローチでひとを驚かすといったことが昔から大好きでした。

  

なんでも事あるごとに楽しいことに繋げたり、連想ゲームのように思いついたことと思いついたことを繋げるのが好き!
そういう姿がひとから見るとかなり浮世離れしているように見えるそうです。

 

そんな浮世離れしているわたしが抱き続けている、
昔から浮かんでは消え、浮かんでは消えている夢。みたいなもの。

 

それは、誰もいまだかつて見たことがない
史上最高規模のガーデンパーティ

 

大きな森の中で、緑色の葉っぱの合間から射し込む太陽が真っ白なテーブルクロスが映えている。

木々や緑葉の香りの満ちた中、たくさんのひとや動物たちが一同に集っている。

そこにいるのはいつもつるんでいる仲間たちや、まだ会っていない言語や違う文化を、肌の色をもつひとたち・・・。

 

それぞれ、バックボーンのまったく異なるひとたちが
【食卓を囲む】という共通の目的だけで集まっている


以前なら、その場に集まる人々は全員が同じ意志で、おなじ意図や目的意識をもって、おなじような表情でそこにいると思っていました。

全員が「笑って」、そこにいる、みたいな。

 

でも、或る日そうじゃないことに気づきました。

そこには、ごはんを次から次へと食べることに夢中になっているわたしのようなひともいるし、
誰かがおかずをこぼしたのをとがめながら綺麗にしようと、手を動かすひともいる。

みんなが食事している傍で、集中して自分の演奏に勤めているひともいる。

駆けずり回って騒ぎまわるこどもや、動物もいる。

・・・ずっとお酒を飲み続けているひともいる。

 

自分の表現する舞台を成功させるために、必死の形相のひともいれば、怒っているひとも泣いてるひともいる。

それぞれがそれぞれの時間を共有して、ひとつの場所にいる。

 

どこにいても、なにをしていても、その人はそのひとの時間を精一杯生きている。

わたしはずっと、この風景が自分の人生でわたしが一番見たい情景だと思っていた。


だけど、違った。

わたしは和やかに時間の流れる其処に身をおいて思う。

 

にこやかに皆がもりあがって、その間を包む空気が其処にいるひとと場所とが調和している様子を見て

「ここはもう、大丈夫だ。次の場所へ行かなくちゃ」と。

 

そのあと、舗装されていない足場の悪い道をトランクケースのタイヤをすり減らしながら次の場所へと向かっていく。

トランクケースの中には、クリスタルや木や貝殻や自分のお気に入りの食器や、大好きな文房具や…そんなものが入っていたらいいな(笑)
髪も白髪がまじって、手も足もしわしわなんだけど、足取りだけは強い。

 

まだ見ぬ友を求めて、まだ知らぬ土地を求めて。

そしてみんながガーデンパーティを行えるほど調和的になったら次の場所へ行く。
そんなことの繰り返し。

まだなじんで時間のたたない場所へのいくばくかの寂寥感も抱えたまま、足は次の目的地に向かう
・・・
そんな体験がしたい、という望みが自分の中にあることに気づきました。

 

いつか手放すために、なにかを手に入れる。

それって、さみしいなーって思う反面、それだけに終わらないこともわたしはちゃんと知っている。

 

この風景をつかむまで、それまでわたしはずっと第一人者に、「何者」かになりたかった。

漫画家とか、アーティストとか、ヒーラーとか、楽器を演奏するひととか、作家とか・・・名称が欲しかった。

そのひとをその人たらしめるタグ、みたいな肩書きみたいな・・・そんなものが欲しかった。

 

身近にいる凄いひとたちに憧れて・・・いつか、自分も同じようになれると思っていた。

少なくとも近い場所まで行けるんじゃないか、そう思っていた。

でも、そうじゃなかった。

 

わたしは何者でもない。

・・・それが明確に分かった時のショックったらホントに想像を絶するもので、たまらなかったけど(笑)

それを知った今となっては、逆になんにでも成れるって思うし、なんでもやれるって思っています。

本当に、なんでも出来る。

 

ひとという生き物はおもしろいもので、なにかが瓦解するとその奥から、表でも裏でもないもの、《本質》が表れる。

瓦解するショックが大きければ大きいほど、現れるものは真に迫っているというわたしなりのデータがあります(笑)。

(ショックの大きさは自己認識のずれと比例する)

 

そしてきっと、それは自分の願いの根源にあたるものなんだと思います・・・。

無防備で、わかりにくくて見えづらい。

自分だけでは、表面的な視覚では見えない。

 

けれど、確かに誰にでも存在しているもの。

そんな強さがある。それが・・・各々の力。力、そのもの。

 

名前を伴う前の、エネルギーの塊。

おなじものは一つとしてない。
わたしは、これが見たいんだ。

別離(手放し)と出会い(受容)のサイクルを繰り返して、たくさんの宝もの《才能》に出会いたい。

《才能》が自分の力を取り戻し、生きていくこと。そのプロセスと共に在りたい。

 

見届けることはかなわなくても、そのための触媒でありたい。あり続けたい。

誰もが、自分自身に還っていく、その瞬間に立ち会いたい。

それが、わたしの一番の願いです。

 

それぞれがそれぞれのメーンストリームに沿って生きていくことができるように、自分の直感や質を使い尽くしたい。

自分の力や魂をそのために使いたい。


呼ばれたら何処へでもとんでいけるように自分を磨きつづけたい。

 

友が友であるために、 わたしがわたしとして生きる。

きっとそれが、不器用な自分が、人生で唯一出来ることなんだと思う。


みんな、誰にも真似できない人生を背負っている。

あなたの《才能》がなによりもわたしを勇気づけて突き動かしている。

まだ開花していなくとも、わたしの夢の一端になっている。

 

どうかその魂の物語を読ませてほしい。

その一端にわたしも登場させてほしい。

 

不思議な笑いと、

人生における変容を呼び覚ます、その瞬間に立ち会わせて。



わたしの好きなものたち